1969年2月23日、長崎県佐世保市で中学生の小山ひ君が忽然と姿を消した。この事件はただの失踪事件ではない。数時間後、見知らぬ男がひ君の学生服を持参し、46万円を盗まれたと主張したのだ。さらに、翌日にはひ君本人から家族宛に謝罪の手紙が届いたが、その内容は異常で、明らかに誰かに脅迫されて書かされたものだった。
この不可解な事件の背後には、計画的な誘拐の可能性が浮かび上がる。ひ君は真面目で優秀な生徒であり、盗みとは無縁の人物だった。外出の目的を家族に告げず、誰かと待ち合わせをしていた可能性がある。目撃情報によれば、彼は不審な行動をとっていた。
男の証言によると、ひ君はバイク事故に遭遇し、現金を奪ったというが、その証言には多くの矛盾が見られる。警察の捜査は大規模に行われたが、手がかりは一切見つからず、未解決のままだ。特に、A氏の証言は疑わしく、彼は事件の数ヶ月前に少年院に服役していた過去を持つ。
手紙の内容は、ひ君が悪い友達に誘われて盗みを働いたと述べているが、実際には彼が脅迫されて書かされた可能性が高い。手紙の文体や筆跡からも、ひ君が極度の緊張状態にあったことが明らかになっている。事件から50年以上が経過した今も、真相は闇の中に葬られたままだ。
この事件は、ただの失踪事件ではなく、深い闇に包まれた犯罪の実態を示している。真実を追求する声が高まる中、ひ君の名誉回復と家族の心の負担を軽減するための努力が求められている。事件は終わっていない。私たちはひ君の存在を決して忘れてはならない。